抱かれたいラーメン屋 28年連続一位!!・・・(笑)
Wけんじ最後の弟子!!業界唯一の歌唱力&エンタテイナー!!
全国にラーメンブームを巻き起こし、日本のラーメンを豚骨にした男

川原浩史(ひろし)なんでんかんでん社長
生年月日   196?年3月13日 うお座
出身地    福岡市博多区
趣味    クラシックオペラ鑑賞 アメ車 ゴルフ 亀 ?収集 心霊研究 作曲
特技    オペラ ショ―催眠術(日本催眠術協会会員) ウクレレ ピアノ 手品 料理
特許&命名 プリントのり(海苔に印刷する技術とインク)

コナ落し(超カタ麺を表す言葉で、現在多くのラーメン店で使われている)
座右の銘   自分の人生は他人が決める(川原自身が考えた言葉)

来歴
4歳で福岡クラシック界の名門“福岡音楽学院”に入園、 幼少時からピアノ、声楽、(バイオリン)を学ぶ。
中学高学年になると、フォーク。高校時代にはロックに夢中になるが、高校卒業を目前に再びクラシック音楽に目覚め、オペラ歌手を目指して上京、音大を目指すが断念。21歳、東芝レコードから演歌(打碁一代)で作曲家としてデビュー。その後、音楽家 故鈴木童夢氏に師事、シャンソン、カンツォ−ネ、タンゴ歌手に転身、憧れの銀パリのステージにも立つ。22歳、縁あって、大御所漫才【Wけんじ】の前座歌手になると同時に弟子となる。しかし、突然の演歌を歌って欲しいとの要望に応える事が出来ず、Wけんじの許を離れるしかない事態に・・・しかしながら、喋りが得意だったこともあり、司会、漫談家に転身、昭和の大スター春日八郎の司会も務める。24歳、芸能界ではなかなか芽が出ないこと、シャンソンは、もっと年齢を重ねてからでも挑戦できる。そう判断し、一旦芸能界を退くことを決意する。上京当時から、どうしても馴染めない二つの食べ物があった。一つがうどん、そしてもう一つがラーメンであった。故郷の博多では見たこともなかった醤油ラーメンが東京では一般的なラーメン。 博多でラーメンといえば豚骨ラーメン。その豚骨ラーメンが、東京では影も形もないことに愕然としたのであった。芸能界を引退したものの何をやろう?元々、目立ちたがりの性格であっただけに、どうせやるなら脚光を浴びることを・・・「東京には、本物の豚骨がない!!やっぱ博多もんの俺ががやらんといかん!!」「この店が成功したら有名になれるかもしれん」とラーメン店をやる事を決意!!昭和61年、なんでんかんでんの看板を掲げて、世田谷は環状7号線に開店させる。開店当時の新聞の取材に「この店が成功したならば、日本のラーメンは豚骨が主流になるだろう」と答えている。
事実、現在の日本のラーメンは豚骨が主流になっている。なんでんかんでんの知名度は、瞬く間に全国区となっていき、超硬麺を表わす呼称【こな落とし】の命名、海苔に印刷する【プリントのり】の開発でも話題になり、環7通りは、なんでんかんでん渋滞と呼ばれるようになり、警察官が半年間に渡り常駐、交通整理をする程の事態に。
わずか13坪、住宅地、夜のみの営業にも拘わらず、一日の売り上げは100万を超える事も・・・年商3億円の店と騒がれる。この売り上げは未だどの店にも破られてないと言われている。なんでんかんでんの成功を機に全国にラーメン店を目指す若者が続出、本場博多からも東京に進出する店が相次ぎ、日本はラーメンブームへと突き進んで行く。なんでんかんでんの成功を機に、芸能界に復帰、歌手デビューも
果たした。特に4年に渡り出演した【マネーの虎】(日本テレビ)は空前の大ヒット番組となり、一躍有名人の仲間入りをした。現在、タレント、歌手、俳優、講演会、セミナー講師、プロ催眠術師としても活躍中!! テレビ出演は、バラエティーを中心に1000回以上に上る。
西武文理大学特命特任講師  2009年11月3日 文化の日 東久邇之宮文化褒賞を受賞。
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